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Mały Jakub リトル・ヤコブ

ポーランド映画 (2017)

ヤン・サーチェ(Jan Saczek)が主演するサスペンス的な要素を持つ、心理ドラマ。孤独な初老の男ヤコブが、なぜ自分はこんな人間になってしまったのか、自ら封印した過去を紐解いていく形式になっている。しかし、そのような内容になるとの事前通告も、演出上の配慮もないため、きわめて分かりにくい映画になってしまったことも確か。全体は大きく4つに分かれている。イントロとしての「きっかけ」。なぜ、ヤコブが回想を始めるかにあたり、初老のヤコブが少年時代のヤコブと出会うというトリッキーな設定が用いられる。第2部は、少年ヤコブが大好きだった祖母との別れ。しかし、そのほとんどは、ヤコブと祖母との空想的な「旅」により、仲の良かった2人を表現するという方法を採用している。第3部は、祖母の死後の父との生活。最も長く、最もストレートな部分だ。ここでは空想など存在しない。あるのは、ヤコブに厳しいだけの父、そして、思わぬ事故で父が身動きできなくなった後のヤコブの復讐、特に後者の執拗さにはファンタジーのかけらもない。第4部は、父の入院後にヤコブが引き取られた孤児院での恐ろしい体験。映画では曖昧にしか表現されていないが、少なくとも2人の少年と院長の「特別な関係」と、それを糾弾したヤコブが受ける集団排斥(村八分)が、彼の人生に大きな影を落とすことになる。第4部には、「空想」が2ヶ所入り、それが効果を上げている。映画は、退院してきた父と、初老のヤコブと対面という、意表を突いた場面で幕を閉じる。映像は非常にきれいだが、ヤン・サーチェの顔をもう少し大きく写してくれれば良かったのに、と思う。

初老のくたびれた顔のサラリーマンのヤコブが、ある日、冷蔵庫内の定位置に置いてあるバターが、移動しているのに気付く。しかし、ドアには鍵がかかっているし、1つしかない窓はロックしてある。ヤコブは、監視カメラを冷蔵庫の上に据えるが、そこには1人の少年が冷蔵庫からバターを出す様子が記録されていた。ヤコブは警察に相談するが、盗難ではないので、鍵の交換を勧められただけ。ヤコブは、鍵を二重にするが、バターはまた移動していた。そこで家捜しすると、鍵のかかった物置の中の洋服ダンスに子供が隠れていた。ヤコブは最初腹を立てるが、帰る家のない様子に同情して置いてやる。しかし、その少年を見ているうちに、ヤコブは自分の暗い過去を思い出し始める。そして少年はいなくなる。映画は、一気にヤコブの少年時代に戻る。その日は、大好きだった祖母の死んだ日だった。父と一緒に最後のお別れに病院に行ったヤコブは、そこで元気だった頃の祖母の思い出にひたる。しかし、気がついたヤコブを待っていたのは、棺に入れられた祖母の悲しい姿だった。ヤコブの母がどうなったかは分からないが、祖母がいなくなった今、ヤコブは田舎の小さな農場で父と2人で暮らすことになった。父は以前から、ヤコブに厳しく、失敗すれば鞭打ちが待っていた。愛情のかけらもない冷たく暗い毎日を耐え抜いてきたヤコブだったが、ある日、父が古い脱穀機を乱暴に扱い、その下敷きになり、脚に大ケガをして動けなくなったことで、事態は一変する。助けを呼んでくるよう命じた父に、ヤコブは従うことを拒否したのだ。父が、脅し、おだて、最後は、心から泣いて頼んでもヤコブは無視し続ける。父がヤコブの存在を無視するようになって初めて ヤコブは心を変え、助けを呼びに行く。父が入院したのでヤコブは孤児院に預けられた。最初、ヤコブは頑なな態度しか示せなかったが、他の少年が「帰宅」した時の楽しい話を共有することで、次第に打ち解けるようになる。しかし、一番親しくなった同室の少年が「帰宅」した時、ヤコブは、その「帰宅」が嘘で、実は孤児院の院長の部屋に隠れていたことに気付いてしまう。この不適切な行為は、その他の少年をも対象としていて、それを糾弾したヤコブは、他の少年から村八分にされてしまう。映画は、父が退院した日のことを、初老のヤコブが思い描く (?) 場面で終わる。

ヤン・サーチェは、年齢不詳だが、恐らく10歳くらい。しかし、DVDが届いた段階では、IMDbでチェックして出演作が2011,2013,2015,2017と4つも並んでいるのを見て、ティーンかと思ってしまった。この映画の6年前が映画初出演なら、8歳でも14歳になる。ところが実際に観てみて、ヤンがあまりに小さいのでびっくりした。幼児の頃から映画に出ていたことになるからだ。そんな「ベテラン」だが、台詞は非常に少ない〔映画全体でも台詞は最少レベル〕。ヤンの魅力は、何といっても、存在感100%の目だ。これほど鋭く射るような目は見たことがない。尤も、それはこの映画の役作りのためだろうが、もう1本前に出演した『Listy do M. 2』(2015)でも、違った意味で、その目に惹きつけられる(下の写真)。
  


あらすじ

最初の8分間は、何も台詞がない。タイトルが映されると、狭いアパートに50過ぎの男性が帰宅する。独身。孤独感が伝わっている。彼が何か不明の趣味の作業をしていると、突然 電球が切れる。男は、物置代わりの小部屋にスペアを取りにいくのだが、その際、ドアの上枠に隠しておいた鍵を使って中に入る。自分の家の中なのに、ただの物置に鍵をかけるのも変な話だ。結局、電球のスペアはなく、物置にあった別のスタンドの電球を取り外して使うことにする。男は趣味の作業を続け、一段落したところで席を立つと、キッチンに行って冷蔵庫を開ける。バターを取ろうと、定位置の一番上の段に手を伸ばそうとすると、ない。目線を下げると、一番下の段にあった。きっと魔がさして入れ間違えたんだと思い、そのままドアを閉める。朝になり、ソファの上に毛布を畳んで乗せると〔部屋にはベッドがなく、ソファの上で毎晩寝ている!〕、出勤のため部屋を出て行きかけるが、気になって、窓にロックをかけ〔部屋は3階〕、冷蔵庫を開けると、バターを最上段の右端に移す(1枚目の写真、矢印)。夕方、男が帰宅して冷蔵庫を開けると、バターは、定位置からまた動いている。男は、窓を確認し、物置に鍵がかかっていることも確認し、冷蔵庫に戻ると、最下段にあったバター〔2枚目の写真、矢印〕を取って、定位置に戻す。
  
  

翌日、帰宅した男は、紙袋を下げていた。冷蔵庫を開けると、バターは下から2段目に移っている。男は最上段に戻すと、買ってきた球形の監視カメラを冷蔵庫の上に置き、少し下向きにセットする(1枚目の写真、矢印)。映画は、監視カメラのビデオ映像に変わる。右下に、「REC(録画中)」の文字が見える。しばらくすると、1人の少年が冷蔵庫に近付いてきて、扉を開けると、台の上に乗って最上段のバターを取り出す(2枚目の写真)。そして、台から降りて 台を片付けると、そのまま扉を閉め、バターを持ち去った。男は、警察に行って相談するが、何もなくなったわけではないので軽くあしらわれ、ドアの鍵を変えるよう勧められただけで終わる。「子供を捜してもらえます?」。「調査しますよ」。「どうやって調査するんです?」。「どうして欲しいんです? テロ対策用のSWATを送り込めとでも? 子供がバターを食べただけで?」。
  
  

男は、鍵を取り替えるのではなく、防犯性の高い鍵を追加設置した。そして 出勤。帰宅して冷蔵庫を開けると、また動いている。ここまでは、非常にミステリアスな滑り出しだ。男は、あちこち確かめた後、物置の鍵を開けて中に入る。ドアには鍵がかかり、鍵はドアの上枠に置いてあるので、物置の中に隠れることは不可能だ〔鍵をドアの上枠に置くためには、物置の外に出ないといけない→→本来不要な場所に、わざわざ鍵がかかっているのは、この点を強調するための演出だろう〕。しかし、男が中に入ると、洋服ダンスから音がする。男が扉に手を触れると、扉が勢いよく開き、中から監視カメラに映っていた少年が飛び出す(1枚目の写真)。ありえないシチューエーションなのだが、動転した男は少年の後を追う。少年は、部屋の中を逃げ回り、液晶TVを棚から投げ捨てて壊す。最後には捕まり、ソファの片隅でうずくまって泣き始める。「泣くな。男らしくしろ」。大事なTVを壊されたので、「警察を呼ぶぞ」と言うと、「暴行されたって言うよ」。「何だと?」。「暴行されたって言う」(2枚目の写真)。「何だと!」と殴ろうとするが、男は思い留まる。昔、父親に殴られたことを思い出したからか? 「どこから来た?」。返事はない。夜になり、少年は洋服ダンスの中で寝てしまった。男は、抱き上げると、警察に連れて行くのはやめ、ソファに寝かせてやる〔アパートにベッドはないので、男は床に寝る〕。朝、男が、床に散らばった「破壊の跡」を掃除していると、少年が来て、「今日は仕事に行かないの?」と訊く。「お前の父さんに、TVの弁償をさせるぞ」。「いないよ」。「お前が誰か捜すからな。今日は日曜だ。終日 家にいる」。男がキッチン・テーブルで朝食を食べていると、少年は向かいのイスに腰を降ろし、男が食べるのをじっと見ている。男は、食べるのをやめると、トマトをのせたパンを持ってきてやる。「食べろ」。「僕が一番好きなのは、クリームと砂糖のパンだよ」(3枚目の写真)。男は、それを聞いても怒らなかった。そろそろ気付いたのだろうか? 少年は、封印した過去の自分自身なのだと〔もちろん、幻想の存在でしかないが〕。男の名前はヤコブ。少年時代の好物は「クリームと砂糖のパン」だった。そして、「厳しい父親の折檻」に辛い毎日を送っていた。
  
  
  

男の作業を、横に座った少年がじっと見ている。「なぜ1人なの?」。しばらく作業を続けていた男が、急に少年の顔を見る(1枚目の写真)。ヤコブの少年時代を一言で表せば、「孤独」だった。そして、その延長線上に、現在の孤独なヤコブがいる。少年は、部屋の隅に置いてある家の模型のそばに行き、床に落ちているパーツを拾い〔具体的に何かは不明〕、いじくっている。すると、男は作業をやめてすぐ横に並んで座る(2枚目の写真、矢印はパーツ)。男は、手に取って動かしてみて、「壊れてる」と言って少年に返す〔このパーツは、この後も、何度も登場する〕。夜になり、ソファに横になった少年は、床に寝ている男に、「何か お話して」と頼む(3枚目の写真)。「男の子がいた。早く大人になりたいと望んでいた。できるだけ早く、今すぐにでもと。大人になれば、パパのように好きなことができる、と思っていたんだ。ある日、とても強く願ったら、明くる朝には大人になっていた」。「それから どうなったの?」。「何も起きなかった。早く大人になりすぎて、どうして大人になりたかったのか、忘れてしまったんだ。彼は、夜も昼も考えた。本当は何を願ったんだろう、なぜ大人になりたかったんだろう、と… それだけだ」。この話には、辛い少年時代を、早く終わらせようと願ったヤコブの実体験が反映されているのかもしれない。翌朝、冷蔵庫のバターを定位置から、最下段に移した男は、「もっと、寝てるんだ」と言い残して、仕事に出かける。しかし、帰宅するとドアの前に警官がいて、子供がどうなったかを尋ね、アパートのドアの鍵が開いたままだと指摘する。そして、部屋の中に一緒に入ってくる。少年は、男の幻想なので、警官には見えないハズなのだが、映画は、この段階で種明かしをしたくないらしく、男が警察署で話を聞かされるシーンが入る。「少年は身体検査を心理学者と話しました」「児童福祉局に移管します」。翌日、男が福祉局を訪ねると、少年は逃げ出した後だった〔男の帰宅以降は、少年の姿は映らない。この挿話は実際にあったこととは思えない。何度も書くが、少年は実在しない。男の目にだけ見える幻だ。だから、警察や福祉局は、「男=ヤコブ」が、自らの幻想を断ち切るために創り出した 別の幻想なのかもしれない〕。アパートに戻った男は、少年の寝ていた狭い洋服ダンスの中に体を押し込み、横になる。
  
  
  

映画は、ここから第2部に入る。時代は40年以上遡る。洋服ダンスの中に入った「男=ヤコブ」の回想シーンと考えるのが、最も素直な見方であろう、病室に、がっしりとした父と、小さな息子が入っていく。先ほどの少年だ。中のベッドには老婆が横になっている。ベッドに近付いていった父は、様子を見て眠っていると思い、出て行こうとする。その時、老婆が、「目が眩しいわ」と言う。「寝てると思ったよ、母さん」(1枚目の写真)。老婆は少年の祖母なのだ。「やっと会えて嬉しいわ」。「毎日来てるじゃないか」。「怖いわ」。「痛い?」。「とても怖いの」。「医者を呼んでくる」。父は出て行き、少年1人になる。少年は祖母の近くまで行き、「何が怖いの、おばあちゃん?」と訊く(2枚目の写真)。祖母は微笑む。ここから、「少年=ヤコブ」が、「ホントはこんなことができたらなぁ」と思ったことが、「幻想」として始まる。少年と祖母は手をつないで病院から抜け出し、走っている(3枚目の写真)〔実際は、祖母は死の床にある〕
  
  
  

「少年=ヤコブ」が、大好きな祖母と共に最後の時を過すという「夢」は、一番分かりにくくて、恐らく、多くの部分は無意味だ。祖母は、アパートの並ぶ一角で道に迷い、孫に、「先導して」「家への帰り方 知ってるでしょ」と言い、中庭を見回す。しかし、少年が父と住んでいるのは田舎の農家なので、アパートの中庭で何を迷っているのか分かりにくい。その先、2人は、アパートの2階から4階まで通路に沿って歩き、観客に「家」がこの建物のどこかにあるのではと、誤解させる。その間、祖母は、息子(少年の父)が乳児だった頃、火の中に顔から落ちてしまい、如何に慌てたかを話して聞かせる〔映画の全セリフの10%弱を浪費〕。しかし、①この話は、その後の展開に一切関係なく、②「少年=ヤコブ」の夢なら、なぜ本人の知らない話が出てくるのか納得できない、の2点から脚本の失敗と言える。祖母は、4階まで登った時、バス停が見えたので、「バスに乗って家まで直行」すればいいことに気付く〔無理筋〕。この挿話には、もう一つ意味不明の部分がある。2人がバス停に向かっていると、一人の老人が現れ、「あなたに会えるのではないかと、毎日出歩いていました」と言い、その30秒後には、「私の妻になっていただきたい」と打ち明ける。「少年=ヤコブ」の夢に、なぜこのようなバカげた狂言が必要なのか? 祖母は「求婚」を無視し、孫と一緒にバスに乗る(1枚目の写真)。例の老人も 同じバスに乗っている。2人はバスを降り、森の中を通る道を歩いて家に向かう(2枚目の写真)。しかし、家に着いたものの、鍵がかかっていて中に入れない。すると、そこに例の老人が現れる。「男がいるよ。おばあちゃんに結婚したいと言ってた人」。老人はゆっくり家から離れ、森の道へと歩いて行く。2人はその後を追ったが、バス通りまで出て見ると誰もいない〔老人を登場させたことには何の意味もない。「少年=ヤコブ」が大好きな祖母との最後の邂逅に見るのに相応しい内容とは、とても思えない〕。2人は、最後に、煉瓦の壁に寄りかかり、祖母が、「お前の父さんを産んだ時、おばあちゃんはすごく若かった。すごく怖かったし、みんなも早すぎると言ってた」と思い出を語る。カメラは背後から全景を映し、そこが墓地の外壁だということが分かる。
  
  
  

すると、壁沿いに父が急ぎ足で歩いてくる。もう祖母はいない。これは夢ではなく、「少年=ヤコブ」の現実だ。父は、責めるように、「どこに行ってた?」と訊く。「おばあちゃんと一緒だった」。「捜したんだぞ。すぐ来るんだ」(1枚目の写真)。「おばあちゃんと一緒だった」。「やめろ! 行くぞ」。2人が向かったのは、教会。祖母は棺に入れられ、葬儀の参列者が最後の別れをしている。「少年=ヤコブ」は祖母に近づいて行くと、「目を覚まして!!」と大声で呼びかけ(2枚目の写真)、父にどつかれて、連れ出される。
  
  

ここから第3部。映像的には、教会の場面から、先ほど夢の中で祖母と訪れた農家の寝室へと、一瞬で切り替わる。少年は、朝が来てもまだ寝ている。とっくに着替えて仕事を始めていた父は、黙ったまま、一気にふとんをはぎ取る。ほとんど裸で寝ていた少年は、慌てて飛び起きる(1枚目の写真)。納屋では、父が手回しの脱穀機の不具合を直している。そこに着替えた少年がやってきて、脱穀機にかける麦を取ろうとすると、「それはいい。じゃがいもだ」と命じられる。父は自分で麦を機械に入れると、ハンドルを廻して脱穀を始める。スコットランドの発明家Andrew Meikleが1788年に特許を取った脱穀機と似ている。要は、非常に前近代的な道具を使っているのだ。少年は、家の中から、じゃがいもがいっぱい入った大きなペール缶(円筒状の金属缶)を引きずり出し、ようやく階段の上まで移動させた。そこに、「まだか?」との声がかかる。焦った少年が 階段から缶を下そうとした時、缶が倒れてじゃがいもが全部出てしまう(2枚目の写真)。納屋にいた父は、扉を開け、息子が地面に落ちたじゃがいもを拾って缶に戻すのをじっと見ている。全部入れ終わった少年は、父の方に駈けてくると、父の怒った顔をじっと見て、自分で家の壁に掛けてある革ベルトを取りにいく。少年は、それを父に渡し、黙って背中を向けて頭を垂れる。父はベルトを二重にして構えると、背中を2回強打し(3枚目の写真、矢印は革ベルト)、地面に投げ捨てる。「戻して来い」。こうした言動から、革ベルトによる折檻が常態化していることが分かる。それに2人の間に会話はほとんどない。
  
  
  

仕事がない時、少年は、森の中に自分で作った簡単な「隠れ家」に行って休むことにしていた。そこで少年が手に持って回していたものは、第1部の「家の模型のそばに落ちていたパーツ」と全く同じものだ。初老のヤコブの家で「発見」したものを、少年のヤコブがなぜ手にしているのか、合理的な説明は全くできない。次に少年がしたことは、森に生えているブルーベリーの実を摘むこと。成果は500グラム入れのガラス瓶3個分のベリー〔日本なら、1瓶2000円以上はする〕。少年は道路端に座り、道行く車が買ってくれないか じっと待っている。しかし、たまに通る車も素通りしてしまうので、自分で食べ始める(2枚目の写真)。そのうち、1台の車が停まり、若い女性が降りてきて、「ベリーは新鮮?」と訊く。「摘んだばかり」。「1瓶もらうわ」。少年は、笑顔を見せ、「自転車のために貯めてるんです」と話す(3枚目の写真)。しかし、家に戻った少年は、父にお金を差し出す。父は、にこりともせず、黙ってお金を回収すると、「餌をやらないと」とだけ言って家畜小屋に向かう。少年も父について小屋に行き、父が牛の下に新しい藁を敷いてやり、ニンジンを食べさせるのを、離れて見ている。
  
  
  

次は、少年と父との関係を示す短いエピソード。少年がたらいの水で顔を洗っていると、父が家に入って来て、ドアの前に立っている。少年は、何も言わずにドアに近付くと、取っ手をつかんで(1枚目の写真)、ドアを静かに、しかし、完全に閉める。パンツをはいているので、恥ずかしいからではなく、親子としての「関係」の完全拒否として捉えた方がいいであろう〔そうでなければ、こんなシーンを入れる必要はない〕。翌朝、父は納屋で脱穀機を回し、そこに少年がやってきて、黙って見ている。少年は、祖母の死後、家に戻って来てから、一度も父に話しかけていない。「麦を1束持って来い。明日用だ」。父は、受け取った束をほぐして機械にセットし、ハンドルを回そうとするが、詰め込み過ぎたせいか、ハンドルが回らず木の柄が抜けてしまう。柄を戻した父が、思い切り回そうとガタガタ揺らせていると、脱穀機が倒れてきて父の脚が挟まれる。脚には脱穀機の回転軸の鉄棒が突き刺さった(2枚目の写真、矢印は鉄棒の位置)。父は何とか抜け出そうとするが、上から鉄棒が刺さった状態では身動きできない。激痛も走る。少年を呼んで脱穀機を持ち上げようとするが、少年の小さな体ではびくともしない。父は、「走って、店の誰かを呼んで来い」と命じ、「行け!!」と叫ぶ。少年は、森の中の道を走ってバス通りに向かう(3枚目の写真)。
  
  
  

少年は、バス停の前にある、周辺で唯一の食料品店の前まで来るが、ドアは閉まっている。たぶん開店時間前なのだろう。少年は、裏に回り、中に入って行く。少年の姿を見た店主の妻は、「どうかしたの?」と訪ねる。少年は、何も言わずに、うつむいている。店主の妻が触ろうとすると、振り切るように後ろを向く。父に虐待される少年は、誰も受け入れようとしない。「また、叩かれたのね」。「僕が、落とした」〔じゃがいものこと〕。「それ、悪いこと?」。「違う!」。その時、奥から亭主の声が聞こえる。「叩かれて当然だな」。少年は、「パンを売ってよ。カーシャ(粥の一種)も。ツケで」と頼む(1枚目の写真)。少年は、裸のままのパンと紙で包んだカーシャを小脇にかかえ、店主の妻がくれたペロペロキャンディーを舐めながら家に戻ってくると、門のところで父のいる納屋をちらと見て、キャンディーを捨てる。そして、そのまま家に向かおうとすると、足音を聞きつけた父が、「いるのか?」と大きな声で訊く。少年は、しばらく凍りついたように立っている(2枚目の写真)。「誰か連れてきたか?」「ここに来い!」。少年は、パンとカーシャを投げ出し、走っていって「隠れ家」に逃げ込む(3枚目の写真)。少年が父の救助要請を無視したのは、父に対する拒絶反応と 復讐心の両方が働いたからであろう。
  
  
  

少年は、心を静めてから家に戻り、納屋の前まで行くが中に入る勇気が出ない。ようやく夕方遅くになって、扉を開けて中に入る。そして、電灯を点ける。少年と父の目が合う。「誰か連れて来るんだ」(1枚目の写真)。少年は、後ろを向いて電灯を消そうとする。「点けたままにしておけ」。その言葉を無視し、少年は電灯を消す。「点けろ」。扉を出て行く息子に、「点けるんだ!」と叫ぶが、扉は容赦なく閉められる。父は苦痛で叫び、少年は、父がいつも寝ているソファに横になってTVを見る(2枚目の写真)〔音声は聞こえないが、少年の顔が明滅するのでTVだと推測〕
  
  

翌朝、少年は納屋の入口に現れる。父は、息子が「助けを呼びに行くつもりがない」ことを悟っている。そこで、「動物には餌やりが必要だ。動物は何があったか知らんし、自分で餌を取りには行けん」と下を向いたまま話す。少年は納屋の入口に掛かっていた大鎌を外すと、父は、「待て。教えておく。地面に刺すな。手間に引くな」と使い方を教える。少年は野原に行き、高く伸びた牧草を刈り、家に戻ると、じゃがいもの入った重いペール缶を降ろしてから、納屋に戻る。ここで、初めて口をきく。「じゃがいも、降ろせた」。「剥かなかったろうな?」。「ない」。そして、少年が倒れた脱穀機の裏を回って餌やりの籠を取ろうとした時、父は、少年の脚を捉まえると(1枚目の写真)、「殺してやる!」と叫び、拳を振り上げて顔面を叩こうとする(2枚目の写真)。しかし、ここで息子を殺したら、永遠に自分は助からないと思った父は、息子を放すと、財布を出し、「金が欲しいか? ほら、持ってけ」と、息子の足元に投げる。「全部やる」。少年は、籠に財布を投げ込んで出て行く。「誰か呼んで来るんだぞ」。
  
  

しかし、家に帰ってきた少年は、前よりたくさん買い込んで来ただけだった。昨日は、恥ずかしくなって捨てたペロペロキャンディーも、今日は舐めたままだ。立ち止まり、納屋をじっと見ると(1枚目の写真、口にくわえているのは、キャンディーの棒)、平然と家に向かう。そして、父には、たらいに水を入れて持ってきた。丸1日以上何も飲んでいない父は、むさぼるように水を飲む。飲んだ後、少年は持参した布を水に浸すと(2枚目の写真)、それで父の汚れた顔を拭く。助けを呼んでくれば、自分の地獄の日々がまた始まる。しかし、死んで欲しくはない。少年の微妙な心理状態が生んだ行動かもしれない。その後、少年は、家に入ると、買ってきたクリームをパンにたっぷり塗り、上から砂糖をたっぷり降りかける(3枚目の写真、矢印は砂糖の入ったスプーン)。これは、第1部で、幻の少年が、初老のヤコブに、「僕が一番好きなのは、クリームと砂糖のパンだよ」と話したことと合致する。
  
  
  

少年は、父にも同じものを持っていくが、父は食べるのを拒絶する。しかし、息子が出て行こうとすると、「一緒にいろ。いるんだ。ちょっとでいい」と声を掛ける(1枚目の写真)。少年は、そのまま納屋に留まり、麦藁の山に横になって眠る。すると、父が、「頼む。助けてくれ。お願いだ。すごく痛む。お願いだから、哀れんでくれ」と泣き出す(2枚目の写真)。今まで一度たりとも見たことのない父の姿を見た少年は、目をみはる(3枚目の写真)。そして、納屋を飛び出して行く。
  
  
  

だが、少年は、助けを呼びに行ったのではなかった。折檻用の革ベルトを取りに行ったのだ。少年は、すぐに戻ってくると、父がしていたようにベルトを二重にして持つと、父の目の前の地面を思い切り叩いた(1枚目の写真)。7回。そして、父を睨むと、そのまま納屋を出て行く。そして、家に行くと、寝室のベッドに横になり、これからどうすべきかを考える(2枚目の写真)。顔の表情に、もう険しさはない。そして、翌朝、少年は 再びたらいを持って納屋に現れる。父は、「出て行け。お前の顔なんか見たくもない。お前なんか要らん」と言い放つ(3枚目の写真)。
  
  
  

父に存在を否定された少年は、森へ行くと「隠れ家」を解体する(1枚目の写真)。これは、父と一緒に住むことを、拒否するための行動なのだろうか? 何れにせよ、少年は医者を呼ぶ(2枚目の写真)。しかし、納屋に行こうとはしない。父を診た後、医師は少年のいる家畜小屋を訪れる。「お父さんは無事だよ」。「ありがとう」。「言ってご覧… お父さんは、いつから納屋に?」。「機械が倒れたから、僕、すぐに…」。「サンドイッチが置いてあったぞ」。そして、「何日だ?」と訊く。「2日」(3枚目の写真)。少年は医師を残して 小屋から出て行く。
  
  
  

道路をボルボが走っている。第4部のスタートだ。乗っているのは、1人の男性と、「少年=ヤコブ」。「心配かい?」。返事はない(1枚目の写真、矢印は「家の模型のそばに落ちていたパーツ」)。しばらくして、「寒い」とだけ答える。「学校は明日始まる。君は全部持ってる。教科書もノートも」。少年は「パーツ」をいじるだけで、返事はしない。車は2階建ての建物の前に着く。男性が降りると、妻が迎えに出てきて抱き合い、それから少年を降ろす。少年が荷物を入れた鞄を持って階段を上がると、そこには10人ほどの少年少女がいた(2枚目の写真)。ここは小規模の孤児院なのか? 男性が遅れて階段を上がってきて、「ジャケットを忘れたぞ」と言って服を見せる。「ジャケットなんか持ってない」。男性は、「おいで」と部屋に案内する。2人部屋だ。「君が来ることは、みんなに知らせてなかった」。「どうして?」。今度は、男性が黙ってしまう。ジャケットを見せて「着なさい」と言うだけだ。少年が着ないので、肩に乗せると、鞄をベッドに置き、「こっちが君のだ。あっちはラファルだ」と教える。少年は身動き一つしない。男性は、少年の肩に置いたジャケットを取ると、拡げて、はおるよう促す(3枚目の写真)。しばらく顔を見た上で、少年はようやく袖を通す。男性:「ぴったりだ」。
  
  
  

ドアが開き、別の少年が入ってくる。男性は、「ヤコブ、これがラファルだ」と教える。映画が始まって 1時間弱、初めて「ヤコブ」という名前が使われ、少年の名前がヤコブだと分かる。ヤコブは、ラファルを首をかしげて見ているだけで、挨拶一つしない(1枚目の写真)。男性が出て行き、2人だけになるが、どちらも無言のままだ。ヤコブはジャケットを脱いで洋服ダンスにしまう。そして、ベッドに置かれた鞄を開けて、中の服を棚に入れる。ラファルが鞄の中を見ていると、何も言わずに奪い取り、また棚に入れる。全部収納し、鞄が空になるとベッドの下に入れ、黙ったままラファルを見つめる。そして、おもむろにポケットから 例の「パーツ」を取り出すと、触りながら棚に入れようとする。ラファルが 「それ、何だ?」と訊いて、手を入れようとすると、引き出しをドンと閉める。危うく指を挟むところだ。それでも、お互いに口をきかない(2枚目の写真)。ラファルは、呆れて部屋を出て行った。
  
  

食事の時間。1つのテーブルに4人が座り、テーブルは7つある〔管理者が夫婦2人の割には大人数〕。遅れて入って来たヤコブは空いているイスに向かう。そこは、ラファルのいるテーブルだった。ヤコブが座ろうとすると、「そこは定席だ」とラファルが指摘する(1枚目の写真)。ヤコブは、もう1つの空いたイスに座る。ラファルの正面の席だ。しばらくすると、男性が1人の少年を連れて来て、「こっちはヤコブ。ミハウルだ」と教える。「今、家から帰ってきた」。どこか変な雰囲気の少年だ(2枚目の写真)〔後で、この「家」という言葉の意味が問題となる〕
  
  

その夜、ラファルはベッドから起き上がると、ヤコブが寝ているか様子をうかがい、部屋を出て行った。目を覚ましたヤコブは、後をつけていき、ドアの前で耳をすます。すると、ドアが開き、ミハウルが姿を見せる(1枚目の写真)。ラファルが出てくると、「中に入れよう」と言い、ヤコブを中に入ると、「座れ」と命じる。ミハウルは自分のベッドに腰をおろし、もう1つのベッドには、3人(ラファル、ヤコブ、ベッドの持ち主)が座る形となる。そこで、場面は急に昼の野原に変わり、1匹の犬がいる。そこにミハウルが現れ、犬が喜んで駆け寄る。すると、次の瞬間、ラファルともう1人の少年も登場し、3人で犬と遊んでいる。映像は、夜のミハウルの部屋に切り替わり、ヤコブがラファルの顔を見ると(2枚目の写真)、もう一度野原に戻り、今度は、ヤコブも画面に登場し、犬と一緒にじゃれている(3枚目の写真)。このシーンは、一体何を意味するのか? 恐らく、ミハウルが、自宅へ帰った時に犬とじゃれ合った時の様子を、仲間の2人に話したのだろう。2人は、その話題を共有し、一緒に遊んでいるような気になる。そこにヤコブが登場したということは、ヤコブも仲間として認められ、話題を共有し、犬と遊んだ気になったのであろう。
  
  
  

明くる日、子供たちが鞄を背負って、孤児院を出て学校に向かう。ヤコブも一旦は、一緒に行こうとするが、孤児院の玄関(子供たちの出入り口ではない、正面玄関)に興味を惹かれ、近付いて行く。すると、ラファルが、「おい、そっちは行っちゃいけないんだ」と言う。「どうして?」。「キヤテクが奥さんと住んでる」。「誰?」(1枚目の写真)。「院長だろ。行こう」(2枚目の写真)。何気ないシーンだが、重要な伏線だ。ヤコブは3人に追いつき、「ミハウル、君の犬、何て名前?」と訊く。「ミシェク」。場面は変わり、川原の丸太にヤコブとラファルが並んで座り、ラファルが川に石を投げている。ラファルは、「どっちが、遠くまで投げれるか競争だ」と言って、走りながら川に向かって投げる。ヤコブもワンテンポ遅れて投げる。ラファル:「僕の勝ちだ」。ヤコブ:「違う。僕だ」。2人はすっかり息が合っている。もう一度丸太に座った2人。ラファル:「そろそろ帰ろうか」。ヤコブ:「帰りたくない」。「どこに行きたいんだ?」。ヤコブは、無言でラファルの顔を見る。
  
  
  

それから、何日後かは分からない。ある日〔多分、日曜日〕、ラファルは一張羅を着こんで出かける用意をしている。恐らく、両親の元に日帰り帰宅する、とでも話したのであろう。ヤコブはつむじを曲げて、ラファルを見ないようにしている。キヤテク院長が、部屋に入って来て、「準備できたか?」と訊き、ラファルが「ええ」と答える。キヤテク院長は、以前、ヤコブにしたと全く同じように上着をはおらせると、しばらくヤコブを見てから、ラファルの後を追って部屋から出て行く。ヤコブが窓から覗いていると、キヤテク院長がラファルをボルボに乗せ(1枚目の写真)、出かけていく。それから、どのくらい時間が経ったかは不明だが、ヤコブが食堂でピンポンをしていると〔テーブルを片づけ、ピンポン台が置かれている〕、そこにキヤテク院長が現れ、奥さんとキスをする。ヤコブは、キヤテク夫妻がしばらくここにいるに違いないと考え、「もう、やりたくなくなった」と言うと(2枚目の写真)、食堂を出て行く。突然ゲームを放棄したヤコブに代わり、キヤテクがラケットを握る。ヤコブが どうしてキヤテク夫妻の家に拘ったのかは分からない。しかし、ヤコブは、2人がいない時に家に入ろうとして、まず玄関に行き、そこに鍵がかかっていると、次にペンキを塗るため足場が組んであった窓に行き、中を覗く(3枚目の写真)。
  
  
  

窓の内側には、これも経過や理由は不明だが、ヤコブの大切な「パーツ」が置いてあった。ヤコブは、家の裏から室内に侵入すると、窓に置いてあった「パーツ」を手にする。すると、1匹の猫が、ベッドの下にすばやく逃げ込んだ。ヤコブは「パーツ」をポケットに入れると、猫と遊ぼうと、床に這いつくばり、「やあ、子猫ちゃん。怖がらずに出ておいで」と声をかける。しかし、ヤコブがベッドの下で見たものは、意外なものだった〔観客にとっても〕。まず、見えたのは、猫ではなく、誰かの腕(1枚目の写真、矢印)。ベッドの下から渋々出てくると、それは、日帰り帰宅したハズのラファルだった。お互い、顔を見合う2人。ラファルはヤコブに歩み寄ると、「ここから、出てけ!」と怒鳴ってヤコブを床に押し倒す(2枚目の写真)。そのまま逃げ出し、自室に戻ったヤコブは、寝ないでラファルを待ち続けた。そして、戻ってきたラファルに、「あの人たちは、知ってるの?」と尋ねる(3枚目の写真)。返事はなかった。
  
  
  

その夜、ミハウルと同室の少年がラファルに会いに来る。ヤコブを見て 「眠ってるか?」と訊く。「そう思う」。「起こした方がいい?」。「眠らせとこう」。その言葉で、ヤコブは体を起こす。今度は、ラファル1人がベッドに座り、ヤコブのベッドには2人が座って3人となる。前回のミハウルの部屋での「お話し会」とよく似た構成だ(1枚目の写真)〔話し手が1人で座り、聞き手がもう1つのベッドに並んで座る〕。ただ違うのは、ヤコブが正式には参加せず、膝を抱えて横向きに座っている点(2枚目の写真)。ラファルの話は、日帰り帰宅で、凧で両親と楽しく遊んだという内容だった。場面は、前回のミハウルと同じような明るい野原。凧揚げには、ミハウルともう1人の少年も参加するが、ヤコブは入れてもらえない(3枚目の写真、矢印はヤコブを見て意地悪そうに笑うラファル)。映画では、この次に、野原で1人寂しく立ち尽くすヤコブが映される。「凧は、高く上がりすぎて見えなくなっちゃた」で、ラファルの話は終わる。一度は仲間に入れてもらえたヤコブも、ラファルの秘密を見たことで外されてしまった。
  
  
  

翌朝、学校に向かう時、ヤコブは、最初に会ったミハウルに、「どこに住んでるの?」と訊く(1枚目の写真)〔最初に食堂で会った時、院長が「今、から帰ってきた」、と行った言葉を疑ったもの→帰るなどないと考えた→院長のにいた〕。「なぜだ?」。そこにラファルが孤児院から出てくる。ミハウル:「ラファル、あの凧、誰が作ったんだ。君か、パパか?」。ラファル:「パパだ。でも、僕も手伝った。じゃ、いつもそうさ」。この会話を聞いたヤコブは、「嘘だ!」と否定する。ミハウルは「何が、嘘だって?」と乱暴に訊く(2枚目の写真)。「彼は、ここにいた。キヤテクのとこに。ずっとだ。一日中あそこにいた。僕 見たんだ」(3枚目の写真)。これは決定的な言葉だった。ヤコブは、ラファルだけでなく、ミハウルも疑っている。映画は、ラファルやミハウルと キヤテク院長の間に何があったのかは全く提示しない。しかし、それが孤児を預かる立場の人間として相応しくないことであることは、ラファルがベッドの下に隠れたことから明らかであろう。また、2人の態度から、そうした事態を、積極的かどうかは別として、受け入れていることも。
  
  
  

報復は速やかだった。先ほどのシーンの直後、川原の丸太のそばを、ヤコブが全力で走って逃げ、その後を15人ほどの少年が追いかけて行く(1枚目の写真)。先頭に立つのはラファル。ヤコブを追い詰めたラファルは、「戻るぞ」と言って何もせず立ち去ったが、それからのヤコブは、「見えない存在」にされた。誰からも無視され、相手にしてもらえなくなったのだ(2枚目の写真)。ヤコブがどのくらいこの孤児院にいたのかは分からない。しかし、そこでの寂しい生活が、ヤコブの一生に暗い影を落とし、少年時代の記憶を封印するように仕向けたことは確かである。ヤコブのこの思いは、初老のヤコブが語った「1晩で大人になってしまった少年の話」の中に反映されているのだろう。
  
  

映画の最後は、第3部の続きでもある。退院して戻ってきた父は、少しびっこをひきながら家に入って行き、息子がいないと分かると、納屋へ行き、最後は、森の中の「隠れ家」まで捜しに行く。そして、破壊された「隠れ家」を見て、大声で、「ヤコブ」と呼びかける。父は、「隠れ家」を作り直すが、その姿からは、厳しいだけの自分を反省していることが覗える。恐らく、ここまでのシーンは、実際に起こったことであろう。次に、森の中の道を歩いて家に向かう男の黒いシルエットが見える。それは、父の家を訪れた初老のヤコブだった。もし、このシーンで父が年老いていたら、40年以上の時を経てヤコブが昔の家を再訪するというストーリーになるのだが、実はそうではない。父の服装は、退院して戻って来た時と全く同じで、年も変わらない。つまり、このシーンは、退院当日の夜なのだ。そこに、どうして初老のヤコブが現れるのか? 父がそんな幻想を見るいわれはないので、唯一の可能性は、初老のヤコブが、少年のヤコブを幻想として見たように、このシーン全体が初老のヤコブの幻想だという解釈だ。父:「お前を捜してた」。ヤコブ:「私も捜してた」。「隠れ家を作り直した」。「もう必要ない」。ヤコブ:「暗いな」。父:「暗い」。「明かりを点ける」。「点けてくれ」。そして、ヤコブがスイッチを押すと部屋全体が真っ白になり、映画は幕引きとなる。このラスト・シーンは、初老のヤコブが、少年時代の自分を取り戻したことで、父に対する積年の憎しみに終わりを告げて、心の整理をしたことを意味するのだろうか。なお、下の写真は、元の画像が1:2.4と非常に横長で、2人が両端にいるため、中央をカットして2人を対比させるようにした。
  

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